新年度(令和4年)に先立ち、2月1日付けで伊藤ヘッドコーチが退任され、宮本新監督が就任されました。奇しくも2年前の「監督制」に先祖帰りした形となります。
思わず先祖帰りと言う言葉を使いましたが、(故)岡監督、宮本元監督、山神元監督に代表される通り、同志社は伝統的に「監督制」を敷いており、「ヘッドコーチ制」を採用するのは極めて例外的な歴史としてわずかに存在するに過ぎません。
(確か、監督とヘッドコーチが同時併存したこともあったような…)
下衆の勘繰りではありますが、きっと2年前に、訳あって監督制からヘッドコーチ制に変更し、今般、訳あってヘッドコーチ制から監督制へ戻したと考えざるを得ません。
この「訳あって・・・」の部分を是非とも知りたいのではありますが、ま、同志社大学ラグビー部が説明責任を果たすことは、まずないと考えます。そもそも当件に説明責任を果たすべき義務が存在していないとも思われます。
でも、2年前に何を意図してヘッドコーチ制にし、きっとうまくいかなかったから監督制に戻したかに納得いく理解を得れないとなると、夜も寝られないくらいであります。(←ほとんど嘘っぽい!)
そもそもヘッドコーチと監督って何がどう違うのでしょうか?
大体、監督って日本特有の言葉であって、英訳するとhead Coachのようですから、非常にややこしいですね。
監督とヘッドコーチは呼び名が違うだけで、中身は一緒だとの考えも成り立ちます。でも同じなら、2年ごとに呼び変える必要もないでしょうから、やはり内実、何か真っ当な変更理由が存在しているのだと考えるのが世の習いであります。
かつて国際バスケットボール連盟(FIBA)では、「現場の指揮官」を指す言呼称としてとしてヘッドコーチに統一されたとのことで、現場以外のヒト・モノ・カネを幅広く扱う場合は、ゼネラルマネージャーだとか総監督との呼称に変更されたとのことです。
従って、ヘッドコーチは、現場における「勝利にため」の選手育成から試合の戦術・戦略、コーチ・スタッフの統括運営責任者に限定した専門職種だと考えられます。ま、いわば現場監督・現場指揮官ですね!(←余計にヤヤコシイ?)
監督はもう少し幅広く、ヘッドコーチ機能に加え、選手の教育育成、学校・父兄・マスコミ・行政対応、リクルート、協会対応・・等を担っている様に思えます。
「ヘッドコーチ」は欧米流の現場の高度に合理的に機能分化された職制の一つでありで、「監督」は日本流の猛漠とした権威主義的な職制の様にも見えます。猛漠たる故に、私は非常に不気味で漠然とした怖さを感じます。
かつての監督を見ていると、大小を問わず何でもかんでも監督責任と言った感じで、膨大な権力を有する一方、緻密で大胆な超人的運営能力が必要とされていました。大いなる「ガバナンス責任者」だったと言っても良いかと思います。
傍から見ていると、部長・副部長・ジェネラルマネージャーの機能発揮と言う局面は極めて少なく、何から何まで「監督への一極集中」と言った様相でした。もちろんアウトサイダーとしての立場からの感想ですから、実態は定かではありません。
少なくともファンは、試合に勝つにせよ負けるにせよ監督を最終的な総責任者だと思っています。負けたのは、あのラグビー部長がボンクラだからだとは決して思いません。(←ここが企業と異なるところですね!)
私どもから見ると、より機能分化されたヘッドマネージャーは軽く、総責任者としての監督の方が重い「役席」だとの印象を受けます。
想像するに同志社大学ラグビー部には、恐らく企業の根幹を為す「職務権限規程」などはないと思われますし、監督制とヘッドコーチ制の移管理由が文書化されることはないでしょうから、我々部外者には永遠に藪の中となりそうです。(当然、仮に存在しても部外秘だと思われます。)
選手諸君は、呼称など、きっとどうでも良いと思っていることでしょう。呼び名は兎も角、恐らく選手起用等の人事権を持った人だけが怖いだけなのでしょう。
当件への関心や興味を抱かれていらっしゃる方は極めて小数でしょうから、本日は、ここまで・・と致します。
もっともワタシャ、興味津々ですから、1年掛かっても聞き出すぞ~~!って覚悟でいます。もっとも2年前は、聞き出しきれませんでしたけど・・・。 (文責:F)
(注)写真と当件の内容は、全く関係ありません。)
(以上)
0コメント