名将山神監督が同志社ラグビーに奇跡を起こした!

 山神(前)監督が学生時代以降、同志社大学ラグビー部に復帰されたのは、思えば6年前のことである。毎週金曜日、東京で勤務を終えると早々に新幹線で上洛、同志社大学ラグビー部寮に泊り込み、土日の指導を終えると東京にトンボ帰りされる日々であった。

 正直、私は山神さんのことを詳しく知らなかった。現役時代の印象もないし、ただただ知っているのは、ず~とパッとしなかった2部のクボタを一躍トップリーグに昇格させた立役者(クボタ監督)だったこと位である。会社が強化に本腰を入れ始めたこともあったであろうが、長年染み付いた2部の体質はそうやすやすと変えれるものではない。

 「根性論」でチームが変わるのならこれほど簡単なことはないが、骨太のベクトル(思想)の設定と具体的なヒト・モノ・カネのシステムの変更を要したはずだ。それには緻密な計算と膨大なエネルギーが必要だったはずだ。

 単純な私などは、詳しいことは知らずとも「トップリーグ昇格」という実績だけで尊敬してしまう。まぐれや酔狂で出来るものでは決してないのだ。その山神さんが、確かコーチ就任2年目の秋シーズン前だかに大阪のクボタ本社勤務となった。我が小島会長が暗躍(?)されたやにも聞き及んだ。同志社ラグビー監督就任を前提とした会社の公式人事であった。

 クボタ本社認知の下、かくして晴れて同志社ラグビー部監督として自由の身(?)になったはずの山神さんであるが、正直、現実は全く違った。勤務を17時に終えると遠路大阪の勤務先から京田辺市の田辺グランドに掛けつける日々の連続。土日は終日の指導が待っており、ラグビー部寮に泊まる日々が続いた模様である。月曜のオフはむしろ会社業務で超多忙。これは監督になってからも4年間継続した。

 それでもラグビーの報酬はゼロ、交通費実費ばかりが出るだけだった模様である。会社の理解があるとは言え、会社と監督業を両立することは至難の業である。

  同志社ラグビー部へのファンやOBの期待と注目は異常に大きい。マスコミも注視している。プレッシャーも甚大だったに違いない。しかし、毎日・毎日総てといって良いほど同志社ラグビーに傾注し、継続して来たのだ。長い夏合宿の途中、一時的に仕事に戻るため、自費でレンタカーを借り、飛行機代自弁で北見と大阪を往復した。

 今だから言うが、「牛一頭募金」へも何度も要らないといっても聞き入れてもらえず、毎年数万円を継続して寄付していただいている。

 山神さんの強さは、バランスの良さとガバナンス力であろう。バランスの良さは、コンプライアンスの徹底にも繋がり、最もパワハラから遠い人と見えた。暴力事件なんか起こりえない安心感があった。ただ、決して品良く甘い言葉を掛けるタイプではない。実に激しく厳しい。その中にも一線を画しているのが見て取れた。一流企業特有のコンプライス精神は徹底していた。それを最も学生が理解し、尊敬していたはずだ。AスコットもBもCもD・・・も全て掌中にいれ、170人もの選手やスタッフ陣の一人ひとりを知り抜いていた。Aの公式試合の前日のJrもCもDも全ての試合を差配された。

 どの練習試合にも顔を出し、「タイガー」とかの符牒をグランドに轟かした。決して品良くはない。「寝るな!早く起きろ!」と大声で叱咤されると、劣勢下でも山神監督の大きな掛け声で思わず選手は活き返り、魔法に掛かったように動き出した。

 それを指摘して褒めると「それではダメです。選手が自分で判断すべきです。」と選手の自立自転の必要性を強調されたが、練習中のみならず試合中の大声の指示は、山神同志社の田辺名物となった。(もっとも花園でも宝が池でも同じだった。)

 管理人は山神監督に「AとJrだけに集中して指導し、後は一切ノータッチでも良いのではないか。」と話したことがあるが、今は間違いだったと気付いている。同志社の強さは、宮本(元)監督が推進された「金太郎飴路線」なんだと思う。全選手がスキルや体力に応じ同じ方向を目指して進む「金太郎飴路線」。一部のエリート選手だけが脚光を浴び、濃厚に金と人と時間を掛けて鍛えあげる(他の者は切り捨てられる)路線とは正反対。公正無比、そもそもスタンスが雲泥の差なのだ。敢えて流行の「選択と集中路線の逆」を行ったのだ。

 それには、強力なガバナンス力を要することが必然である。宮本(元)監督に続き、山神監督は強烈なガバナンス力を発揮された。何度も田辺の撮影に通っている私は、1年以上経ってやっとそれに気付いた。チーム(組織)は団結し、Aの選手もDの選手もいつも明るく元気に同じ方向を向いていた。

 監督4年目、それは結果として大学選手権準決勝進出と学生の素晴らしい就職先に結実して顕れた。企業の人事評価で言うところの「組織管理力」。これを如何なく発揮された。正に長年のラグビー生活とクボタの企業戦士の経験から培われたものに相違なく、山神監督が一流企業の「ライン部長」レベルの実力を備えておられるからに他ならない。その力を同志社ラグビー運営に縦横無尽に発揮されたのだ。

 2016年度、心配された実力派大物コーチ間に起こりがちな混乱は、一切発生しなかった。少なくとも傍からは全く感じなかった。

 宮本(元)監督の「やって楽しい、見て楽しい!」ラグビーは、山神監督の下、「速い集散と速い展開の同志社ラグビー」として更に発展した。軽量ながらものの見事なブレークダウンを見せ、ファンには、この上ない一年となった。プロ化する日本の数ある大学ラグビー部の中で、最も素晴らしいアマチュアリズムと文武両道路線が貫かれ、ものの見事に花開いた。

 リーグ戦はおろか大学選手権の最中でさえも授業優先で練習にメンバーが揃わない。ご承知の通り、本人もコーチ陣も専任の常勤者ではない。スポーツ推薦枠も少なく、入学のバーも高い。外人選手は皆無で授業料や寮費の免除や優遇が一切ない。

 同志社ラグビーは、大学ラグビー部の中でも正に稀有な存在。同じ路線は、100年の定期戦を戦う慶應大学くらいのものであろう。その中で山神さんは奇跡を起こした。そうだ!平成28年の大学選手権の実績は、正に奇跡だった。然るに起こるべくして起きた奇跡だった。

 山神監督の6年間に深く深く感謝したい。心からお疲れ様でしたと言いたい。

同志社ラグビー あ・ら・か・る・と

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